新撰組を訪ねて〜壬生編〜

かねてから山南さんのお墓に行きたいと思っていたので。壬生に行ってきましたよ〜☆
壬生って意外に近かったのね。
(阪急四条大宮から徒歩すぐです)


山南敬助の墓(墓石は「助」ではなく「介」)
彼らが滞在した八木邸の近くにある光縁寺に埋葬されている。
そこは山南さんが当時の主と知り合いになったことから
殺された隊士などを埋葬してもらうように頼んだらしい。
結局その3番目に山南さんが埋葬されたわけだけど。
その後、伊東甲子太郎、藤堂平助などが埋葬されている。
(山南さん以外はひとつの墓石にまとめられているが伊東・藤堂の名前は刻まれていない)


山南さんが明里との別れの会話をした出窓があったらへん。
(その出窓は現存していない)
八木邸の前の家、前川邸で切腹した山南さん。
ただし前川邸は今も人が住んでいる為に非公開。


かの有名なあの像。
八木邸近くの壬生寺にある。
壬生寺では彼らが剣術の稽古をしていたとされる。
この像の横にはこの絵の入った絵馬があったが中には
「〜〜高校合格祈願」・・・勇はバカだったんだぞ!?
「慎吾ちゃん大好き!
慎吾ちゃんが無事に1年大河を終えることができますように  鹿児島県〜〜」
・・・鹿児島から!?(笑)
修学旅行生っぽい子らにも会ったし、今年の修学旅行は壬生ブーム
略してミブームですね♪<違


鴨の墓。(墓石に刻まれている通り平山の墓でもある)
近藤勇像と同じ壬生寺にある。
八木邸では案内ボランティアのおじいちゃんの説明があったが
鴨暗殺時、総司と土方がいたことはわかっているが他は誰がやったのかわかっていないらしく
ドラマでは総司が入り口の上に刀痕を残していたが、実際は誰かわかってないらしい。
また八木邸にも今でも八木さんが住んでおり、現在は15代目。
当時の源之丞さんは11代目。
八木邸を拝観した人全員、最後にお抹茶とお団子を食べさせてもらえるが
そのお団子屋さんを現在経営(?)しているらしい。
約20年前に京都市から重要文化財として認定されたがそれまでの間は
八木家がその家をそのまま守ってきている。
刀痕も寺田屋のようにあまりに触られすぎてすべすべにはなっておらず(笑)
触ることができない状態で保存してあり、鴨が転んだ文机もそのまま置いてあった。

最後に

清河八郎があの演説をした場所。(お寺)
八木邸の向かいにある。
この時の発言を受けて、新撰組の前身、浪士組ができたわけである。

四条通という京都のメインストリートからちょっとはずれたところにある
ほんとに小さな一角の壬生。
ここからいろんな歴史が始まったんだなぁと思うとなんだか感慨深いものがありますね。

余談だけど途中立ち寄った場所で、天然理心流(近藤・沖田・土方の流派)
が使っていた木刀を持ちました。
(「井上源三郎博物館寄贈」とあったのでどこかにそんな博物館があるのですね・笑)
マジで重い!!びっくりした〜。
毎日あんな重いものを持って練習していたんじゃ強くなるよな〜と。

光縁寺→前川邸(近くをうろうろ)→壬生寺→八木邸のルートでまわり
歩いて近くの駅に戻った時にはすでにななは寝てました。
それからマックで休憩して帰ってきた。

久しぶりになんか京都を感じた1日だったな〜。
しかし京都の道は狭いしでこぼこでベビーカーは歩きにくいし
お寺はお寺で砂利&段差ばっかで抱っこ抱っこ・・・。
くわえて阪急電車はエレベーターないしまったく久しぶりに
「つぅかぁれぇたぁぁぁぁぁぁ」というくらい疲れました、ハイ。



(注:画像の無断お持ち帰りはご遠慮くださいませ)

2004年9月1日日記より